「しくじり先生」という教科

テレビ朝日しくじり先生 俺みたいになるな」はもはや言わずと知れた人気番組である。内容は世間的に見て「過去にしくじった」人を先生として招いて「自分と同じようなしくじりをしないように」という内容の授業が行われるという番組だ。

今までに出演した先生たちには、オリエンタルラジオ杉村太蔵、新垣隆、保田圭堀江貴文、大事MANブラザーズ、GG佐藤などなど名前を聞いただけで「何をしくじったのか」を多くの人がイメージできる「しくじりビックネーム」が並んでいる。

ただ、彼らは決してテレビタレントとしてのビックネームではない。いま普通にテレビに出ただけでは『豪華キャスト感』はない人たちだ。しかし彼らが自身の「あの」しくじりを語るとなれば話は違ってくる。そのときの『豪華キャスト感』は極端に言えば、ビートたけし吉永小百合に勝るとも劣らない(言い過ぎか)。これはこの番組が見出したオリジナリティのある仕掛けだ。

つまり「しくじり」は強烈な個性の裏返しなのである。前述したように名前を聞いただけでまずその人のしくじりが思い浮かぶくらいだ。それは個性であり、テレビにおいてはすなわち魅力でもある。もちろんそれだけでは、実は彼らがワイドショーやスポーツ新聞を賑わしていたときの魅力と変わらない。他人にイジられることで価値が出ているというだけだからだ。しかし「しくじり先生」という番組は、そこをさらに裏返している。

この番組では徹底して自分で自分のことを語らせている。第三者の解釈はそこにない。自分で自分のことを語る、これは元来一番つまらないはずの話である。見栄だったり、虚飾だったり、見え透くものが多くなるからだ。ただこの番組に出てくる人たちはしくじりを話しにくる。それも世間の大多数が知っている「大しくじり」を話しにくる。隠すものなどもはやないから、むしろ曝け出しにくることが目的になっている。それはまるで嘘をつけない告解だ。

そうして彼らはしくじった当時、週刊誌や世間が聞きたかったことを詳らかに大袈裟なほどの自己演出をもってして曝け出していき、最後には話す方だけでなく「聞く方」も涙を流すことも多い。

そう、この番組が裏返したのはここなのである。野次馬だったはずの「聞く方」にも変化を促していくのだ(当然ここで言う「聞く側」とは番組上の「生徒」だけでなくテレビを見ている視聴者も含まれる)。しくじった自らがあまりに本気で曝け出して語ってくるので、聞いている側も逃げられなくなるからだ。野次馬は背中には野次を飛ばせても、正面を向いている相手にはなかなか野次を飛ばせないものである。

そして最初は「しくじり先生」の「しくじり」の部分しか知らず「アレやっちゃった人だ」とか「うわ、よく出でくるな」と思っていた「聞く側」も、次第に彼、彼女の人間性に触れていくことになるのである。

それは他者への理解の本質だ。

この番組は「自分と同じようなしくじりをしないように」ということが表の番組コンセプトだが、結果として実は「他者への理解とは?」という難しくも意味のあることを提言している番組だと思う。

たとえば私は「オリエンタルラジオってすぐ売れたけどすぐ消えたよね?」以上のことを理解しようとしなかった。「杉村太蔵って失言ばっかりしてよくわかんない議員だったよね?」以上のことを理解しようとしなかった。「新垣隆って何十年もゴーストライターやってかわいそうだね?」以上のことを理解しようとしなかった。

でもそれぞれにその渦中においての理由があり、苦悩があり、その後の気づきがあり、今では新しい希望がある。偉そうに言うとそこに人間的成長がある。この番組はそのことを道徳的にではなく、エンターテイメントで理解させる。

私自身、友人知人との過去を振り返ってみても、彼、彼女のやったことは知っていても、彼、彼女自身のことをどこまで知っていただろうかと思う。

どちらを知ることを優先した方が生きやすいのかは分からないけど、「しくじり先生」を観るといつも人間関係の中で生きていると言いつつ「やったこと」ばかり知っているなあと思うのである。

「ゆとりですがなにか」と言われたら?

日テレ系ドラマ「ゆとりですがなにか」のテンションが凄い。脚本家宮藤官九郎の最高傑作ではないかという呼び声も高く、現代版「ふぞろいの林檎たち」であると言う人もいる。まだ5回の放送を終えただけとは思えないほどの中身の濃さであり、その濃さは描いた感情の数に比例していて、たった一言の台詞にもただ物語の展開の為でなく、些細で的確な一瞬の感情が内包されているから一話一話の「人間濃度」がこんなにも濃い。

「(就活に悩む妹に)はあ、イメージしてねえよ、こんな社会人生活。でもやるよ、にいちゃんは。得意先回って、頭下げて、焼き鳥焼いて、年上のバイトにコキ使われて、部下に笑われても、意地でも辞めねぇよ。今辞めたら何にも得るもんないから。元を取るまで辞めねぇよ」

「(教育実習できた女子大生に)僕やあなたにとってはただの一ヶ月の研修かもしれないけど、だけど、だけどね、子ども…あの子たちにとっては一生を左右する一ヶ月かもしれなくて、そう、しれないんだよ!そんな重要な一ヶ月をネットの情報なんかで答え出してほしくないし、だから何が言いたいかというと、その…いい先生じゃなくていいんでいい人間になってください」

「(友人に彼氏との悩みを話していて)まぁいずれ結婚するんだろうけどさぁ。あいつ結婚を舐めているっつうか、結婚を何かの理由にしようとしてる感じがミエミエなんだよね。そういうじゃなくて私は結婚だけがしたいの。分かる?余計なものが一切ない、理由なき結婚。童貞がセックスだけしたい、みたいなもんよ」

「(夜の街で働きながら東大を目指して11浪中の男が)入れそうな大学入って、入れそうな会社入って辞めずに続けてんだよ。すごくね?ゲームでいったらレベルアップしないで何回も何回も同じこと繰り返してるわけじゃん、余裕でクリア出来るステージを。無理だわー、ないわーその才能。だから(自分は)こんな暮らしなんだな!!」

もちろん、上記の台詞はもちろん100%の本音ではない。葛藤の吐露でしかない。どの台詞も登場人物たちの本音を隠していて「他者」に言うのならばこういう言い方であるというフィルターをかけている。「こいつには背伸びしてもバレない」とか「なんだかんだ口説きたい」とか「実は今話しながら考えている」とか「自分のポジション的にはこーいう発言だろ」とか、フィルターがかかっている。しかしそれがリアルだ。

このドラマは「ゆとり世代」をテーマにしているように見えてその実はまったく関係なく、登場人物たちが自分たちの世代をそう名付けた大人たちに反発するわけでもない。それぞれの毎日を生きているだけだ。当たり前だ。「ゆとり」などただの教育方針の一側面だ。それで世代そのものが変容するわけがない。未来は教育に対してそこまで従順なはずはない。

だから「ゆとり」というのは作中でも度々出てくる「これだからゆとりは」という言葉に象徴されるように、ただのこじつけられた「理由」である。さらにはそもそも「○○世代」なんて言葉自体、そーいう言葉を作って新書でも出そうかと考えている大人側の見方である。つまり、大人から見た「彼ら」でしかないということなのだ。では「彼ら」の中にいる「彼ら」自身がどう思って生きているか。ドラマ「ゆとりですがなにか」はそこに入り込もうとしている。

そして実は描いているのはただ一点「なんかうまくいかねえなあ」という実感だけであり、そして「うまくいかない」なんてことは世代に関わらずそうであるはずで、それをたった数年間の「教育方針」のせいなんかにされちゃますます堪らないというプラスαとして「ゆとり」を取り上げているに過ぎない。

しかし「ゆとり」であるからではなく「若い」から彼らにはまだ理想がある。それが先ほど引用したリアルな台詞たちだ。そしてそのリアルさの不可抗力として観る側に伝わってくるのは、そんな強烈な「一人ひとりのリアリティー」ですら陳腐に見せてしまう「ゆとり」という名前をつける世の中のテキトーさと怖さ、実体のなさなのである。

つまり、何事も「乱暴な総論」に対抗するにはとことん「リアルな各論」を掘り下げるしかないのである。それこそがフィクションの存在する意味であり、また、できることなのだ。

「TEAM NACS」の大志

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TEAM NACSの成功は、男の子たちの無邪気な夢のようだ。

大泉洋安田顕、戸次重幸、音尾琢真森崎博之の5人からなる演劇ユニット「TEAM NACS」は北海道学園大学の演劇サークルに同時期に集まった「5人の男の子たち」によって結成され、今ではそれぞれのメンバーが映画、ドラマで主演級の活躍をしている。

現在の彼らの成功は、北海道内限定の密度の濃いメディアミックスで得たアイドル的人気による集客力(つまり「人を動かす力」)と、本来は相反するはずの役者としての将来への期待値(つまり「業界を動かす力」)との難しいバランスが奇跡的にとれたことが大きな要因のひとつだと思うが、それは結果論であって大学生の演劇サークルに計算できたことではない。

かつて北海道出身のお笑い芸人タカ&トシが「どうしてタカトシさんは面白いのに北海道でなかなか売れなかったのか」ということを聞かれて「あの頃の北海道には大泉洋という化け物がいたから」と答えている印象的なインタビューがあったが、もちろん大泉洋の強烈な個性と人気がTEAM NACSを引っ張ったことは間違いない。

しかしひとつの強烈な個性はたいていの場合は周りに影をつくる。彼らもそうなった時期があったかもしれない。彼らと同じく学生時代に結成されて売れたバンドや、事務所に作られたグループアイドルなどではボーカルやセンターに光が当たりつづけることがある。それぞれが違った光を少なからず浴びるなどという奇跡はまず起こりえないのである。そこで気持ちがついていかないメンバーが出てきてもおかしくはない。

だがきっとTEAM NACSはまだ何者でもなかった大学生のときからそういった人気や状況が推移する関係の中にいることに慣れていたのではないか。誰と誰がいま険悪だとか、誰かが拗ねているとか、誰かに嫉妬するとか、きっとそんなことの繰り返しで、それでも何故か一緒にいて、メンバーによっては就職していたのに会社を辞めてまで戻ってきて、状況は違えども同じ「覚悟」を持った「5人の男の子たち」でありつづけたのだから。

そしてTEAM NACSというグループが成功した真の立役者は大泉洋以外の4人だ。大泉洋はひとりでも売れたかも知れない。「化け物」と言われるほどのタレント性があったのだ。しかし他のメンバーたちは違う。誤解を恐れず言えば人気はあったが「ただの演劇青年たち」だった。そしてそんな彼らは当初東京から見れば「大泉洋のいる劇団の人」程度の認識だったはずだ。

だが、彼らは「大泉洋のいる劇団の人」と東京に呼ばれた最初の打席で確実に塁に出たのだ。最初で最後になったかもしれない大舞台で結果を残したのだ。4人とも、である。

彼らは学生時代からずっと個々の活動とは別に演劇ユニットとしての活動を着実に続けていた。北海道以外での知名度がなかったにも関わらず初めての5人での舞台では(まだメンバーのうち3人は大学生だった)2500人を集客、2004年の初の東京公演を含む舞台では総動員数10000人を達成するなど着実に演劇ユニットとしての結果を残し続けていた。そこで「ただの演劇青年たち」が培った実力が、幸運にも大泉洋という光が導てくれた一発勝負の大舞台での結果につながったのだと思う。

それは学生時代から、彼ら4人と自分のとてつもない才能に気がついた大泉洋とで示し合わせていたかのように、チームでチャンスを作って個人個人がそのチャンスをモノにしていくという理想的なチームプレーだった。

彼らの舞台はDVD化されているものはすべて見ているが、いわゆる演劇的な小難しさがないものが多い。真っ直ぐで、派手で、いい意味で大味な部分もあるが、それでもどうしようもなく魅力的な瞬間がある。それは5人の友達のようなやりとりが見えた瞬間だ。それはどんな大物演出家も、名優たちでも再現できないことだ。

「いつか俺たち大河ドラマとか出てさ」「あの女優とラブシーンなんかしたりして」「主演映画のポスターの真ん中にドカーンって」みたいなことを学生時代の彼らが話していたかは分からないが、そんなまさに「男の子たちの夢」と呼ぶにふさわしい、言い換えれば「叶わぬ夢」と笑うにふさわしい「場所」に実際に立って遊んでいる40代も半ばの男の子たちがいるのである。

才能とか、芸術とか、評価とかよりも、それはもしかしたら強くて、男から見てもどうしようもなく魅力的だ。きっと今でも「あの監督と会いてーなー」「あのアイドルと共演したいわー(実際にアイドルと結婚したメンバーもいる)」「あのデカい劇場に立ちたいんだよ!」と言いあっているような、自分がいつのまにか諦めていた夢の途中を生きているような「男の子たち」の物語を感じるからだ。まさに北海道出身ならではの「Boys, be ambitious」だが、このクラーク博士の言葉には続きがあるという。

Boys, be ambitious like this old man.
-少年よ、大志を抱け。私のように。-

40代半ばでのTEAM NACSという奇跡には、今やこっちの方がしっくりくると思うわけである。

 

「ドキュメント72時間」が「72時間」であるワケ

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NHK「ドキュメント72時間」がますます面白いのである。

ある「場所」に72時間、つまり3日間密着するだけの番組であるが、毎回の「撮れ髙」の水準が圧倒的だ。たとえば、歌舞伎町の薬局、伊勢崎の巨大フードコート、名古屋地下鉄の遺失物預かり所、大阪天神橋筋商店街のベンチ、秋田のうどんの自動販売機。それぞれの「場所」の前で72時間ひたすら来る人の姿を撮り、時にはインタビューをする。

だが、この72時間という番組名にもなっている「時間内」に来る人にしか話を聞けないという制限が、逆にリアリティのある「人間」を撮ることに寄与していて「撮れ髙」の保証に繋がっているのではないかと思う。

なぜなら3日以上「粘れない」が故に、制作者が「狙えない」からだ。だからその「場所」のリアルが映る。ドキュメンタリーにもストーリーは必要だし、ストーリーまでいかなくてもある程度の仮説は必要だ。その制作者側のストーリーまたは仮説が的を得たり、裏切られたりして展開していくのがドキュメンタリーの醍醐味である。しかし「ドキュメント72時間」にはそもそものストーリーや仮説がないし、あったとしても3日間では成立しない。その3日間の被写体はそんなこと制作者の意図など知ったこっちゃないのである。だがその知ったこっちゃなさが見応えを作っていく。

秋田のうどんの自動販売機の回などはそのことが分かりやすい回だった。「極寒の秋田で一杯200円の自動販売機のうどんを食べに来る人たち」。これだけ聞くと部外者はいろいろなストーリーや仮説を立てたくなる。そして帰結させたくなる。取り残された田舎の問題だったり、清貧の尊さだったり、それでも寄り添う人々の笑顔だったり。

しかし、そんなものはすべて部外者の過剰な期待であると「ドキュメント72時間」は展開していく。

登場するのは手軽に食べられるからと来る事故の多い雪国で働く自動車保険の会社で働くサラリーマン、いつか大切な人が出来たら昔から食べていたこのうどんをいっしょに食べに来ようと思っていたという中年女性と彼氏、若いころヤンチャをしていたときからここに来ていて自分の子供にもそういうときがきたらここに来れば誰かいるから安心だと教える若い母親、そして重篤な病になってしまい人生を振り返るためにうどんを食べにくる洋菓子屋の男性(一年後の追加取材で彼は元気になっていた)。

当たり前の話だが、そこには「いろいろな人がいるだけ」なのだ。同じ問題など誰一人として抱えていない。さらに彼らはテレビに出る準備などせずに登場している。そして、普段準備のできている人たちが出演するテレビに慣れていると、準備されていない言葉たちに時折ドキッとするのである。

先日放送された「北のどんぶり飯物語」という回は仙台にある24時間営業のご飯をどんぶりで出す定食屋が「場所」だった。そこに復興景気の仕事に就くために大阪から単身赴任で来ていたひとりの建設業の男性がいた。彼は言うのである。とんでもないことを言うのである。仕事終わりに入った定食屋でご飯を食べながら、つまりテレビに出る準備など一切していない状態でとんでもない核心と希望を口にするのである。

「なんかが壊れないと建設業って潤わんって言えば潤わんのですよ。だけどそれが誰かが死んだことの上に成り立っていたりとか、引け目感じるじゃないですけど、今回の仕事は誰かの不幸の上に成り立っているなと思う心もあったんですよ。だけど復興でこっちで工事させてもらってますとか言うと、ありがとうとか助かるわとか言うてくれはるんですよ、地元の人らが。だから今生きている人ら、今生活してる人らに対してちょっとは手助けできてるんかなと思うと、やる気はやっぱ出るっすね、そう言うてもらえると」

準備していたコメントではない。常にそう思っているから出てくる言葉の強さ。もちろんその強さは震災のような誰もが知る問題に限らず、名古屋地下鉄の遺失物預かり所で100円しか入っていないけど旦那さんから何の日でもないのにもらった大事な小銭入れが見つかったときの女性の「あった!あった!」という言葉にも、大阪天神橋筋商店街のベンチにいた71歳で不動産業を営む女性の「昔は2,3回殺されかけたことあるわ」という言葉にもあって、準備していない言葉だからこそ短いひと言の中にちゃんとその人がいる。

しかし「ドキュメント72時間」を観て自分の人生を顧みることはない。明日からの生き方を考えるようなことはない。こんな人がいるんだな、あんな人がいるんだなと、前述のようなリアルさで他人の人生を、いや日常を覗き見る感覚以上のことはない。視聴者だって登場人物の一部であって、それぞれが簡単に変わるような軟な人生など生きていないからだ。

ただ、一人で生きていけるはずなどないと知った上で結局は一人なのだということにどう向き合うかが人生であるとしたら、知り合いでもないがリアルな「こんな人」「あんな人」という存在が多少の救い、一瞬の拠り所になることがある。前向きな意味か、後ろ向きな意味かは、いろいろだとしても。

 

「家、ついて行ってイイですか?」と言う側の狙いと言われる側の狙い。

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テレビ東京「家、ついて行ってイイですか?」

番組のメインは繁華街で終電を逃した人たち(あえて逃した人たち含め)にインタビューをして「家までのタクシー代を支払う代わりに自宅について行く」という内容となっている(「YOUは何しに日本へ?」と同じくスタッフが汗をかけばかくほどという企画だ)。インタビューされるのは、たいていは楽しく飲んでいたという人が多いわけだが、カメラが自宅に上がり込むと彼、彼女たちの楽しいだけじゃない部分が唐突に顔を出す。そのあまりの落差に思わず見入ってしまう。

たとえば、日暮里の彼女はガールズバーで働いているが以前保育士をしていて人間関係に悩み辞めたのにたくさんの保育に関する本をまだ捨てられずにいる。たとえば、西船橋の彼は家族と決定的にうまくいっていないが高校時代の部活の仲間を支えに牛丼屋でアルバイトをして借金を返している。たとえば、六本木の彼女はハロウィンで派手な格好していたが実はもともと90キロ以上あった自分をダイエットで変えた経験を活かして美容インストラクターを目指している。たとえば、大宮の彼女は40歳で熟女キャバクラ勤務だが旦那は72歳で彼を看取らないことには次の恋なんてできないと笑う。たとえば、渋谷の彼女は男性経験豊富な肉食系ダンサーだが片思いの人が来るか来ないかわからないのに冷蔵庫に彼の夕食を用意して入れている。

みんなインタビューされたときには(周囲に仲間もいる場合は特に)「ぜんぜんいいっすよー」とか「え、どうしよ、マジこまるー」などと一様に楽しそうに見える。しかし、いざタクシーに乗ってディレクターとふたりきりになるとフッと憑き物がとれたような顔になる。そして自宅に着くと見ている側が思いもよらぬ自分たちの人生を少しだけ見せてくれるのだ。もちろんそれは自分自身で語ることであるから脚色や背伸びもあると思う。でも明らかに街にいたときとは違う人になっている。この落差が番組の醍醐味だ。

多くの人にはきっとこの「落差」の経験があると思う。夜中まで楽しくすごした、終電を逃す、さっきまでいた人たちが急に理性を取り戻したかのように帰っていく、残された自分も数時間前の騒いでいた自分を遠い過去にしてひとり自宅に帰る。若ければ「都会に来てなにやってんだろう」とか「このままでいいのかなあ」とか青い思いに駆られるかもしれない。大人であれば慣れているからそこまでは顧みないが「そういえばあのころ見てた夢って」とか「喧嘩して別れたけどあの人は元気かな」みたいなことくらいは思うかもしれない。

「家、ついて行ってイイですか?」はその瞬間を映している。そんな「健全な賢者タイム」だからこそ、少し恥ずかしい自分のことをみんな話しはじめる。そしてさらに、ここが実は大きいと思うのだけれど、話す相手が知らない人(ディレクター)だから話せるのだと思う。仲間と飲んでいるときにそんな話はできない。SNSでそんなこと言ったってリアルタイムで相槌はうってくれない。自分に興味を持ってくれた知らない人にイチから自分を説明する、そんな機会は怪しい勧誘でもなければ実はなかなかない。さらにディレクターも部屋の中を物色して「これなんですか?」「あれはこういうことですか?」と言葉は土足で踏み入っていく。すると彼、彼女たちも自分の部屋に痕跡として残っている、自分でも気にしていなかった人生の欠片をきっかけに「それは」「あれは」と話しているうちに知らない人が自分に興味をもって話を聞いてくれることに少なからず高揚していき、いつのまにかカメラにはその人の「人間」がたしかに映っていくのだ。

ただ、そこに夢や希望があることはあまりない。「YOUは何しに日本へ?」のような「ハレやかなピーク」が映ることはない。その人たちの「今」でしかない。東京という大都会は実はそんな個人の「今」が1300万個も集まってできているのだなと、という当たり前のことを改めて感じる番組なのだ。そして同時に、それは当たり前だけど都会ではとことん分かりづらくなっているということにも気がつく番組なのだ。

人生の、毎日の、どの瞬間が「ほんとうのその人」なのかなんて街には関係ない。街を生かしているのは集団であり、流行であり、消費である。しかしそれは望まれたことでもあったと思う。ほんとうの自分なんてメンドクサイものを気にしなくていい瞬間だって人生には必要だからだ。誰かといっしょにいることだったり、分かりやすいヒエラルキーだったり、ステレオタイプなイメージだったり。「みんないろいろあるけどさ」と言いながら「いろいろってなんだっけ?」と似た者のように見えるみんなと笑える瞬間が必要だからだ。

しかしである。それでも拭い去れない「ほんとうの自分」は汚い部屋の片隅と深夜の心にこびりついていて、隠していたつもりでも手段は分からないけどそれを「見せたい」という衝動にかられるときがあり、そんなときのひとつがたとえば「終電をなくした夜」なのである。番組の発見がここにある。

つまりは「家、ついて行ってイイですか?」という番組タイトルにもなっているこの質問に「いいですよ」と答える人は「なんとなくそろそろ自分を見せたがっている人」であるという可能性が高く、この番組は偶然に見えて実は利害関係の一致があり、必然的に「面白い話」が聞けるという非常に巧妙な仕組みになっているのだ。

そしてカメラが家を出るときにかかる番組主題歌「レット・イット・ビー」が、君がそういう話をすることは分かっていたよと言わんばかりに「でもそんな今でいんじゃない?」と番組をしめている、などと歴史的名曲を拡大解釈してしまうくらいにこの番組が好きなのである。

それでも僕たちは、宇多田ヒカルを必要としていた。

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宇多田ヒカルが復帰した。「人間活動宣言」後、結婚と出産を経て少しだけ「ぼくたち」から距離を取ったように見えた彼女だったが、復帰作を聴くと彼女が以前よりもとても近くで語ってくれているような気がしてファンとしては嬉しい。

90年代にはその鮮烈なデビューで小室哲哉を終わらせ(小室哲哉本人がそう公言している)、00年代にはその有り余る才能をまき散らしながら走り抜けて誰と比べられることもないレベルにまで大成した。そして前のめりに倒れ込むように「人間活動宣言」という彼女らしい物言いでの活動休止に入った。20年前「ぼくたち」の前に突然現れた彼女は、消えるときも突然だった。だから大げさでなく日本中がその復帰を待ち望んでいた。

宇多田ヒカルを見聞きしていて思うのは「才能というのは誰にでも理解できるものなのだ」ということだ。音楽に詳しくないからとか、逆に詳しいからとか、若いからとか、同世代じゃないからとかは関係ない。言わずと知れた彼女のデビュー曲「Automatic」を初めて聴いたとき私は、まだ17歳だったし、音楽的な新しさなどは分かるはずもなく、かつ彼女の顔もまだ見たこともなかったけれど、この人には「才能」があるのだと感じた。そして、その感覚が日本中に肥大したからこそファーストアルバム「First Love」は前代未聞の700万枚を売り上げたのだ。

分かる人にしか分からないものなど本当の才能ではない。圧倒的にメジャーになれるものこそが「才能」なのだ。彼女を見ているとそう感じる。彼女の書く詩は決して分かりやすくない。メロディーもみんなで盛り上がれるかと言われればそうでもない。それなのにその「才能」への理解はとてもイージーだ。当然、まず「ぼくたち」が彼女の才能を知るのは彼女の声であり、歌詞でもメロディーでもない。理解を必要としない「声」に生理的な反応をするのである。しかし、彼女の場合それだけではない。

「ぼくたち」は彼女の決して分かりやすくない何かを理解しているのだ。復帰作のひとつであるNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」主題歌『花束を君に』を聴いても、歌い出しで「普段からメイクしない君が 薄化粧した朝」とうそぶく彼女の声が耳に潜り込んでくると琴線が、いや私などは涙腺が反応する。

宇多田ヒカルは「諦念」を歌ってきたと言われる。あの人とは結ばれないだろうけど、きっとまたうまくいかないけど、かなしいこともまだまだあるけど、愛かどうかなんて分からないけど、それでも、それでもとその声で歌ってきた。

彼女は以前、漫画家浦沢直樹(宇多田=諦念を指摘していた)との対談の中で自身の創作の原点のひとつに小学生のときに書いた俳句があると語ったことがある。それは「おーい!お茶」の俳句コンテストに応募するために作ったものだそうだが、その記事を読んでから十数年経ったが私は未だにこの俳句が忘れられない。

『雪だるま いっしょにつくろう とけるけど』

このエピソードの「周辺」に「ぼくたち」が彼女を理解してさらに琴線、人によっては涙腺まで刺激されてしまう理由がある気がする。解釈など野暮だが、雪だるまというただでさえ意味のないもの、しかも溶けてしまってなくなってしまうものを、それでもつくろうという圧倒的な切なさがこのときからある。

結ばれないのが「First Love」。きっとまたうまくいかないけど「Keep tyin’」。かなしいこともまだまだあるけど「STAY GOLD」。愛かどうかなんて分からないけど「This is LOVE」。

つまりは判官贔屓諸行無常、雪に耐えて梅花麗し。

日本で育った「ぼくたち」の心のどこかに潜んでいるその手のパブロフの犬が、宇多田ヒカルによって「泣かされている」のだ。

「ありがとうと 君に言われると なんだか切ない」(The Flavor of life)

分かるか、分からないか、それが問題、ではないのである。

SMAPの「僕ら」にはどうしてこんなに特別な響きがあるのだろう。

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昔、山下達郎が自身のラジオ番組で「夜空ノムコウ」を聞いた感想として「SMAPは今の自分たちがこの歌を歌うことの意味、魅力をわかっていないのではないかと思うほどにいい」と褒めていた(言い回しはうろ覚えだが)。ラジオを聴いていた私は、山下達郎が褒めたよという驚きと、SMAPの持つ魅力の根っこになんとなく触れた気がしたのを記憶している。

それは若者の体現者としてだったり、男の子の体現者としてだったり、誰でもないけど確かに誰かである「主人公」を体現するというチカラだと思うが、それは他のアーティストや作家でも長年愛される人たちであれば、独自の決まった「主人公」をまとっていることはよくある。ミスターチルドレンの歌に出てくる「僕」は彼らのどんな曲にも登場する同一人物だと思えるし、村上春樹の小説に出てくる「僕」も彼のどんな話の中にも登場する人格に思える。ただ、彼らの場合のそれは彼ら自身が書いている創作物の中においての話だ。

 

しかし、一時期の(しかも長期間に渡る一時期の)SMAPが歌う歌の場合は違う。他者が書いているにも関わらず、ずっとSMAP自身が「僕」だった、「僕ら」だった。「あれから僕たちは何かを信じてこれたかなあ」と彼らが各々の音程で歌うとき、その詩を書いたのがスガシカオだと知っていても、聴いている側には「SMAPが主人公」の物語の一節として聴こえてきた。そして、物語の主人公たるSMAPはその成長をずっと世の中が見守ってきた稀有な「男の子」たちだった。アイドルという遠い存在のはずなのに、みんなが見守っていた仲良し(に見える)5人組の「男の子」だった。だからこその、冒頭の山下達郎の言葉なのである。

 

極端に言えば結婚式で新婦の父親が娘のために歌を歌うとする、どんなに下手でも、家族にはその歌声は沁みるだろう。登場人物のことをみんなが知っているからだ。そこに歌以上のものを聴き取るからだ。SMAPの歌はそれに近い。

 

しかしなぜ手が届かないところにいるはずのアイドルが、世の中にとってそんなに身近な存在になりえたか。それはSMAPが売れた「理由」そのものにあると思う。SMAPはアイドルの主戦場であった歌番組がなくなっていった時代に、バラエティ番組を新しい活躍の場として選び、アイドルらしからぬ挑戦をしたことが成功の一因だと言われる。

 

つまり、SMAPは歌手以外の顔をこれでもかと世の中に見せてきたアイドルグループなのだ。コント、フリートーク、MCなど、ひとりの若者として、または男の子としての「素」の部分を男性アイドル史上かつてないほど見せてきた。しかもファンじゃないお茶の間を相手にして見せてきたのだ。それはやはりアイドルじゃない部分、本来は不得手な部分と言い切ってしまっていいかもしれない。だから最初はつまらなかったり、下手だったりした。でも、ゴールデンタイムで世の中が見守る中で今や彼らは押しも押されぬバラエティ番組の切り札に、数多くの大物芸能人を仕切る司会者に成長していった。これはもう、結成して25年をかけた壮大なトゥルーマンショーなのである。

 

これだけ息長く、第一線で10代から40代までをさらけ出してきたタレント、いや人間はそうはいない。しかもグループとしてである。年月の中で時折起こるリアルな事件もその成長譚のひとつのチャプターとして格納してしまえるほどにさらけだしてきた。そうして実像と虚像が長い時間をかけて溶け合ってしまった。しかしそれは常人には真似のできない努力の結果でもあった。

そんな「歴史」の中で、まさに夜空ノムコウの頃からだろうか。おかしな逆転現象が起こりはじめたように思う。「素」の部分だと思われていた歌手以外の活動が「タレントとしての努力」と映りはじめ、彼らが歌う歌にこそ、たまたまSMAPというグループにいる男の子たちの「素」を感じはじめた気がするのだ。繰り返すが、それが山下達郎の言う「SMAPは今の自分たちがこの歌を歌うことの意味、魅力をわかっていないのではないかと思うほどにいい」という発言の真意だったのではないかと思うのである。

 

SMAPが歌う「僕」や「僕ら」がこんなにも特別な響きを持っているのは、聴いている人がそのひと言にだけ20年以上も本当の意味では自由ではなかった、どこかに置いてけぼりをくらった男の子たちの男の子としての一瞬を垣間見るからではないだろうか。

「あの頃の未来に僕らは立っているのかな」

18年前の代表曲にあるこの自問。今回の報道の結末がどうなるにしても、18年後解散がこれだけのニュースになるグループになっているという未来は、今後どんなグループアイドルが出てきても決して立てない未来である。