人類が二度と見られない負け姿 吉田沙保里

レスリングに詳しいわけではないが、吉田沙保里選手には思い入れがあった。もちろん勝ってほしかった。みんなが期待をしすぎたせいだと応援した人たちが妙な反省をするのは違う気がしている。勝ってほしかったし、勝てると思っていた。それだけ圧倒的だったはずだった。国民の期待など当然のものとして結果を残してきた人なのだから。

「取り返しのつかないことになってしまった」と試合直後のインタビューで彼女は泣きながら言っていた。その言葉を聞いたときには、私もどれほどの重圧だっただろうかと前述の妙な反省をしたが、今はその言葉に違う凄味を感じている。

吉田沙保里はオリンピック3連覇、世界選手権においては13連覇という実績を残してきたトップ中のトップアスリートだ。誰もその栄誉に口を挟む者はいない。これ以上の栄誉を求めようとしても、与えるものがなくて困ってしまうほどの人だ。

それなのにまだ、彼女にとっては銀メダルが「取り返しのつかないこと」なのだ。「泣きじゃくって子供のように謝るようなこと」なのだ。

考えられないほどの負けず嫌い、考えられないほどのハングリー精神、考えられないほどの純粋さ。世の中は誰も責めないのに、吉田沙保里というただ一人が自分を責めていた。

以前、彼女は手記で「私はいまでも5歳で初めて試合に出たときのことが忘れられません。男の子と戦って負けてしまった私は、無性に悔しくなって泣きじゃくりました。そして、私に勝った男の子が表彰式で、金メダルを首にかけてもらっているのを見て『私もあれがほしいよぉ』と父に訴えたのです」と書いていた。

昨日の彼女もそのころと同じなんだと思った。33歳で絶対王者と呼ばれるようになっても、過去に世界大会だけで20個近くの金メダルを獲得していても、5歳のころと同じように泣きじゃくり「金メダルが欲しいよぉ」と言っている。

金メダリストとなった10歳近く若いマルーリスも、吉田沙保里に憧れて成長してきた選手だという。であるならば、たとえ負けても偉大なる先輩として後輩にバトンを渡すような余裕のある佇まいを見せることだってできただろうし、それが許される選手だ。だが、吉田はそんなポーズは取らなかった。負けた瞬間にうずくまり大泣きした。

しかし、マルーリスはそれこそが、憧れつづけた吉田沙保里の絶望こそが、何よりも嬉しかったはずだ。金メダルよりも価値があると感じたはずだ。本気であったことの証を、恥ずかしげもなく見せてくれたことが有難かったはずだ。

ここまでの実績のある王者にしか見せられない、人類にとって二度とない、貴重な尊い負け姿。

勝ったままで身を退くスターももちろんかっこいいが、負けた姿を見せられるスターには身を退いたあとに残る意味がある。

誰も寄せつけずに勝ち続けてきた彼女がたくさんの人に大きな影響を与えたように、誰も近寄れないほどに泣いた昨日の負けもまた、たくさんの人に大きな影響を与えていくのだ。

表彰式で喜ぶマルーリスと、スタンドで唖然として涙を拭うことすら忘れていた登坂絵莉を見て、そう思った。